【あいことばはあいことば】

 

 

 

振動も駆動音もしない。

タルタロスが停止したのだ。

このままここにいることはできないのだろう。

それは戦いに身を置くということ。

ルークは握り締めていた拳をそっとほどく。

正直言って覚悟はまだない。それでも、殺されるのは嫌だ。

詰めていた息を吐く。

艦が止まったら―――それは始まりの合図。

好きにしていいと言われ、牢に留まる人間などいはしないだろう。

しかし誰もが行動できずにいた。

誰かが口火を切るのを待つように。

今この場を支配しているのは沈黙と言う枷。

その檻は実在する格子より強固だ。

「さて、行きましょうか?」

沈黙を破ったのは場違いなほど明るいジェイドの声だった。

口調は問いかけだが、たぶん発言権はない。

現実の扉は拍子抜けするほどあっけなく彼らの前に道を示した。ご丁寧にも扉の外には奪われた装備品がそのまま置かれている。

しかし昇降機は止められていた。

やはり逃がす気はないのだろうか?

彼らが嘘をついているようには思えなかった。嘘をつく価値さえないと、その態度が言っていように思えた。もちろんそれはルークの感覚的なものでしかなかったけれど。

「こういう場合への備えはないのですか?」

「いやぁ〜。もちろん用意してありましたけど、使わないでくださいと念を押されてしまいましたからねぇ〜」

守る義理などないだろう。それでも使う気になれないのは使ったら何かよくないことが起きそうな予感がするからか。

「とりあえず、別の方法で外に出ることにしましょうか。確か向こうの部屋にいいモノがあったはずです」

ジェイドの案内で向かった先は貨物質だった。

無秩序に置かれた貨物。貨物室だというなら整理ぐらいしておくものだろう思いつつも、ルークは言われるままにその貨物を整理した。ジェイドの口車に乗せられた感は否めないが、逆らったところで事態は変わらないだろう。

なので、初めにそれに気付いたのはルークだった。次いでティア。

「いいモノって・・・」

「これのことかしら?」

ルークが開いた道をのんびりと歩いてくるジェイドは、まだそれを目にしていない。

しかし見なくてもそこにあるものを確信しているような口調で、ルークの足元にいたミュウに命じる。

「ミュウ、第五音素を」

「え?燃やしちまうのか?」

「いえ・・・、あぶり出しかもしれないわ」

「あぶり出しってなんだ?」

それが何であるか目にしている二人にはジェイドの発言は疑問を抱かせる意外の何物でもない。

その自信に満ちた態度に、実は今目にしているモノは自分たちの知っているモノとは違うのかもしれないとさえ思い始める。

「はいですの」

ミュウはそれが何であるか理解していないのか、疑問に思う素振りも見せず、言われるままに火を噴いた。

火球が触れた瞬間、ボッと音を立てて灰と化す。

一瞬だけ大きく燃え上がった炎は、顔を近づけていたルークの前髪を焦がして消えた。

それが自分たちの想像通りのモノであったことが証明された瞬間だった。

「わぁ、危ねぇなぁ」

「ごめんなさいですの」

思っていた結果が訪れなかったためか、ジェイドにしては珍しくルークたちを慌てて押しのけ、前に出る。

前髪の焦げを払い落としたルークは―――幸いなことに切りそろえなければならない程の被害はない―――これをあぶり出しと言うのかと間違った理解をしていたが、残念ながらそれを訂正する者はいなかった。

果たして彼が「あぶり出し」を正しく理解する日は来るのだろうか?

まぁそれは置いといて。

「これは・・・」

さっきまでそこにあったモノはミュウファイアによって燃えかすを残すのみ。それだって元々そこにあったものを知らなければ見落とす程に僅かな残骸だ。いかにジェイドの観察眼が優れていたとしても、それからそこにあったモノを推察することは不可能なようだった。

「ティア。ここには何があったのですか?」

「紙が貼り付けてありました。文面は確か・・・」

「今この手紙を読んでいるってことは、ことはおまえの思った通り進んでいないということだな。ここにあったモノは片付けた。タルタロスの風通しを良くしてもらっては困るそうなんでな。代わりに隠し扉を用意してある。合言葉は・・・」

「ルーク。あなた・・・」

スラスラと暗唱してみせたルークに、ティアは驚いたように目を向ける。

ジェイドは自分にも可能であるためか、然程驚いた様子はない。それよりも続きかが気になるらしく、先を促す。

「合言葉はなんですか?」

「ここまでしか読んでない。その前に燃えちまったんでな」

「肝心なところを・・・」

ふう、やれやれ、と首を振る。

「みゅうぅぅぅ・・・」

ミュウの耳はすまなそうに垂れ下がったままだ。

しかしミュウが謝るのはお門違いであろう。命じたのはジェイドだ。

これで脱出手段は失われたということだろうか?

ジェイドが当てにしていたモノはあらかじめ失われていた。そして代わりに用意されていた出口は合言葉がわからなければ開けることはできない。

苛立ちをぶつける様に、ルークが壁を蹴飛ばす。

ハラリと壁についていた灰が落ちた。

「見てください」

何かに気付いたらしいティアが慌てて壁に張り付いた灰を払い落とすと、そこには新たなメッセージがあった。

一見先ほどルークとティアが見たものと変わらないように見えて、その実鋼鉄の壁に直接施された装飾。わざわざ紙のように見えるリアルな絵にはどんな意味があるのだろうか?炎で多少焦げてはいるがその文面はしっかり読み取ることができた。

「やはり燃やしたか。確認もせずに火を着けるなんてな。おまえの行動は予想通りでつまらないぞ。これで世界がおまえの予想の外側にあることがわかっただろう。ペナルティだぜ、ジェイド。合言葉代わりに俺に愛の言葉でも囁いてもらおうか?」

三人とも同じモノを目にしている状態でわざわざ読み上げる必要もないだろうが、先程の続きとばかりにルークが読み上げる。

その横でジェイドがなんともいえない複雑な顔をしていた。めったに表情を変えないジェイドにしては珍しいことである。

「冗談か?」

「いえ、本気でしょう」

これを書いた人物に思い当たる節があるのか、ジェイドは深いため息をついた。

ルーク、ティア、ミュウの順で視線を巡らせた後、ティアに白羽の矢を立てる。

「ティア。すみませんが、ピオニー愛していますとでも言ってみてください」

カチリと何かが嵌るような音が聞こえた。

『合言葉を確認しました』

それは人の声というよりは作られたものといった感じの不自然な音。

それでも言われた内容はわかる。

僅かな機動音。ゆっくりと左右に分かれていく壁。薄暗い貨物室に光が差し込む。眩しさに目を閉じる。再び目を開けると、ちょうど人一人が通れるぐらいの穴が開いていた。

合言葉がなんであったかなんて今更確認する必要もない。無言で先を急ぐ青い背中からは、むしろ触れてくれるなというオーラが漂ってさえいる。

「行きますよ」

後を追えないでいたルークに声がかかる。

そんなに簡単に踏み出せるものではなかった。

外に待っているものを想像するだけで、手足が震える。

拳を爪が掌に喰い込むほど強く握り締め、その痛みで震えを押さえ込む。深く息を吐いてもう何度目かになる決意を繰り返す。

ここで死ぬわけにはいかないから。

貨物室のよどんだ空気とは違う爽やかな風。澄み切った青空。

タルタロスは完全に停止していて、僅かな駆動音さえしない。

つかの間の静寂。

しかしそれを壊す足音はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 


あとがき

 

下船しただけ()

書き始めた時は「脱出〜カイツール」って仮タイトルが付いていたはずなのですが・・・

カイツールどころかセントビナーにさえ辿り着けないなんて。

その理由は次回「セントビナーへ()」のあとがきで。

カイツールはまだまだ遠そうです()




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