【もとめしあかともとめられしあか】
培養槽で浮かんだ状態で意思を示した翡翠の双眸。
そんなこと理論上ありえないはずだった。
作られたばかりのレプリカは赤子と同じ。そこに意思や自我などが存在するはずはないのだ。
だからこそレプリカを作ることにした。
ルーク・フォン・ファブレは可愛げのない子供だった。
剣術の稽古だけは熱心であったが、それ以外で自分に関わりを持とうとはしなかった。
どんな甘言もその子供の前では通用しなかった。
だから隠された真実の一部を子供に伝えた。
死の預言(スコア)が詠まれていることを。
しかしそれさえも子供は瞬き一つしただけで受け流したのだ。
だめだ。この子供は自分の手には負えない。
そう思った時、この技術の存在を思い出した。
能力はオリジナルと同等。しかし自我のない完璧な操り人形。
それは自分のための人形になるはずだった。
「完全同位体です」
信じられない物を見るような眼でディストはその検査結果を読み上げた。
理論上は可能とされていても、その成功例はわずか。人間での成功例は皆無だったのだから、ディストの喜びようは尋常ではなかった。検査と称し様々な実験をやりそうになるのを慌てて止めさせる。
冗談ではない。
これは大事な操り人形。
「いつここから出せる?」
「今すぐにでも」
基礎教育を施さなければ、ですが。
続けられたその言葉に「そんなものは必要ない」と返す。
培養槽の中、漂う子供。ルーク・フォン・ファブレの完全同位体のレプリカ。
望む物がここにある。
どのように育てようか?
愛し、可愛がり、自分だけを慕うように。この子の世界には自分だけがいればいい。自分の言葉に一欠けらの疑いも抱かぬように。
甘美な夢が広がる。
培養槽の中、生きているのか死んでいるのかもわからないレプリカ。そのレプリカの緋色の睫毛がわずかに揺れた。
目覚めるのだろうか?
自分の隣で培養槽を見つめるオリジナル・ルークがふうと息を吐いた。
そのかすかな音にその存在を思い出す。あれ程手懐けようと必至だったことが嘘のように、どうでもよくなってしまった存在。
「おまえを助けるための亡命だ」と言った言葉を、信じてもいないくせに従った子供。何を考えているのかわからない薄気味の悪い子供。
もう、用は無かった。
いっそここで殺してしまうか?
いや、やはりバチカルへ返そう。
そういう約束をした。
かつて主と仰いだ者。今は同士となった者。この子供は彼の人の手にかかって死ねばよいのだ。
多少死期が延びたところで、支障はあるまい。いや、この場合は早まったと言うべきか。
閉ざされていた瞼がゆっくりと持ち上がる。
オリジナルと同じ翡翠の双眸。そこに宿る光だけが違う。この瞳に映るのは自分だけでいい。この子の眼には今何が映っているのだろうか?
何も映さぬまま、もう一度閉ざされる瞼。
思えは、自分が甘美な夢に浸っていられたのはこの瞬間までだったのだろう。
そう、この時はこの子供が自分の望んだ操り人形だと疑わず、その瞳を再び見ることを切望していた。それが夢の終わりであるとも知らずに。
覗き込む顔は三つ。
―――起きろ。
聞こえる声は耳からではなく、直接頭に響く。
その声に導かれるように瞼を開ければ、顔、顔、顔。
見たことはあるが、あまり親しかった記憶のない顔。どこか懐かしい人を、自分に厳しくそして優しく導いてくれた人を思い起こさせるのは、その人が彼に繋がるものだったからだろうか?
最後に会ったときよりわずかに若く、穏やかな表情をした人。あぁ、懐かしい。自分はまだ彼を嫌っていない。
そして、記憶に残る幼き頃の自分と同じ顔。同じなのに違う人。その翡翠の双眸が眩しそうに細められる。
―――ルーク。
唇は動かない。直接語りかけるのは、傍に彼らがいるせいなのだろう。
ツキンと懐かしい痛みがこめかみに響く。
―――アッシュ。
同じように心で返すと、アッシュは満足したように口元を緩め、回線を切断する。
頭痛がわかってしまったのだろうか?
こんな痛みなど気にしないで繋がっていたいのに。
口にすればきっと怒られるだろうことを思って、しかしその怒声を嬉しいと感じるようになったのはいつからだろうか。
あぁ、彼が生きている。
命ある身体。触れてその暖かさを確かめたかったが、作られたばかりの身体は指一本自分の意志で動かすことはできなかった。
徐々に抜かれていく羊水。
水越しではなく直接見た彼は自分より僅かに色素が薄いように見えた。記憶にあるあいつと同じ色だ。
もう我慢することはできなかった。
自分の前に立ち塞がる邪魔者を押しのけ、服が濡れるのもかまわず、培養槽に足を踏み入れるとその身体を掻き抱く。
後ろでヴァンが何か言っていたが、もうそんなことはどうでもよかった。
十年待った。待ち望んだ存在が今、目の前にいる。
ずっと水の中にいたためか、最期の時に自分を暖かく包んでくれた体温を感じることができない。
「タオル!」
振り向きもせず怒鳴りつけるが、使えない大人二人はただ呆然と自分たちを見ていた。
「こいつが風邪でもひいたらどうするんだ!?」
弾かれたようにディストが何処かへ椅子ごと飛んでいった。
命令されることになれているものは扱いが楽でいい。
数十秒か数分か、それほど待たされることもなく、ディストが両手にタオルを抱えて戻ってくる。一枚ではなく大量に持ってきたことは褒めてやろう。
大判のバスタオルでその身体を包み込むと、次いで顔と髪をぬぐっていく。
身体を上手く動かすことができないのか、こいつはされるがままだ。徐々に取り戻される温もりに安堵のため息が漏れる。
「あっ、しゅ・・・」
まだ声を出すことに慣れないのか、かすれた声で途切れ途切れに名前を呼ばれる。
それは声というにはあまりに小さくて、自分の他に聞く者はいなかったようだ。しかし確かに聞こえた。
あぁ、取り戻したのだ。
久しぶりに「アッシュ」と呼ばれた。
この十年「ルーク」と呼ばれる度にこいつを思い出した。「ルーク」と呼ばれる度にそれは自分ではないと感じた。自分は「アッシュ」であると。
しかしルークのいない世界に自分を「アッシュ」と呼ぶ者はいない。
ルークを取り戻した。それと同時に自分は自分自身を、アッシュを取り戻したのである。
「アッシュ」それこそが今の自分の名前。
いや、どんな名前で呼ばれたとしても、彼が自分を呼ぶ名であるなら、それが自分の名前となるのだろう。
この状況をどう解釈すればよいのだろうか?
「貴様はこれを作ろうとしていたんだな」
羊水がすべて抜かれた培養槽の中央で、オリジナル・ルークは自身のレプリカを拭っている。
それがなんであるか、何故自分と同じ姿をしているのか、声を荒げて質すというのならわかるが、この落ち着きようはどういうことだ?
「おまえはそれが何であるかわかっているのか?」
「俺、だろ」
その即答に言葉を失う。
それは真理であるかのように聞こえた。
何も知らないはずなのに真理を突くのは子供故か、それとも本当は知っているというのか?
「貴様が何を求めているかは知らない。しかし俺を救うためというのは詭弁だ」
オリジナルの視線はレプリカに注がれたままだ。誰かの世話を焼くなどということをしたことはないのだろう。たどたどしい仕草で、しかしその手つきは限りなく優しい。
「貴様は自分の思い通りになるルーク・フォン・ファブレを欲した」
語られる言葉は自身のことであるというのに、何処か他人行儀だ。
「俺はそれが誰であれ利用されるつもりはなかったからな。思い通りにならない俺に見切りをつけて、ルーク・フォン・ファブレを作ることにした」
それは十歳児の持つ双眸ではなかった。
低い位置から見上げられているというのに、見下されたように感じた。
愚かなことをするものだ、と。
「これは俺だ。おまえが利用できるようなものではない」
創るだけ無駄であったな、と。
その翡翠は雄弁だった。
「それはおまえのレプリカだ」
「呼び名などどうでもいい」
大判のバスタオルに包まれた身体。安心しきった穏やかな顔で眠るレプリカ。抱く者と抱かれる者。同じ形であるはずのそれが、別人に見えた。違うのは表情だけのはずだ。
「何故、付いて来たのだ?」
利用されることをこれほどまでに厭う子供が、おまえを救うなどという言葉を信じているとは思えなかった。
「ベルケンドで・・・」
その言葉に反応してしまったことは、不覚である。
「俺が来なくてもこいつは作られていたのだろうな」
そのすべてを見抜く翡翠を誤魔化す事などできそうになかった。それに、今となっては知られて困ることではない。
「ここまで完璧な物はできなかっただろうな」
翡翠に怒りと嫌悪が浮かぶ。しかしそれも一瞬のことで、瞬き一つしただけで感情を察せられないいつもの無表情に戻る。
「俺のいないところで俺が作られ、おまえの好きに扱われるかと思うと、虫唾が走る」
だから来たのだ、と。
ベルケンドで何が行われていたのか知っていたわけではないだろうに。
それがただの勘だというなら大したものである。
「ルーク・フォン・ファブレが何であるか興味はあるが、な」
そちらが本音か?
確かに色々と特殊な幼少時代であった。しかし特殊とは他者と比べて成り立つ物。彼にとってはそれが日常であったはず。
「答えないのならそれでもいい」
左肩にレプリカの上半身を預け、左腕をその腿に押し当てるようにして持ち上げる。
自分と同じ重さを抱えているというのに、その足取りはしっかりしたものである。
「どこへ行く」
「俺もこいつも、利用されないところだ」
視線を巡らす。出口を探しているのだろうか?
「心当たりがあるというのか?」
そんなものなどありはしないだろう。
だから、提案する。
ただの十歳児という認識は改めよう。しかし、所詮十歳児である。
一人で生きる術を持っていないことを理解できる程度に聡いことは、この場合僥倖であった。
「共に来い。二人まとめて面倒をみてやろう」
「利用されるつもりはないと言ったはずだ」
「利用するつもりはない、協力して欲しいといっているのだ。対等な同盟のつもりなんだがな?おまえもこの世界の仕組みを知れば、私に協力する気になるだろう」
「協力するかどうかは、おまえがやろうとしていることを見極めてからだ」
まぁ予想の範囲内の答えである。ここで素直に頷くようであったなら、レプリカを作るなどという面倒もなかったものを。
「触るな」
子供の身体で同じ重さを支えるのは大変だろうと、手を伸ばせば跳ね除けられる。
「抵抗はしない。どこへ行けばいい?」
ここには、おあつらえ向きの部屋があった。
逃げ出すとは思わないが、用心するに越したことはないだろう。
大事な手駒だ、どちらも失うわけにはいかない。
箱庭が変わるだけ。
『聖なる焔の光(ルーク)』は所詮庭の中でしか生きられない、預言を成就させるための駒。
そして覆すための駒。
期せずして手に入った二つの駒を思い、ヴァンは自身の勝利を確信していた。
彼はまだ、その二つの駒が自らの意志で動くものだということを、知らない。
――――――――
あとがき
うっかりルークが初めて見た顔はディストです。
アッシュさん憐れ(笑)
ディスト、ヴァン、アッシュの順で培養槽の周りにいたので仕方ありませんね。
大丈夫、自我があるから刷り込みはありません(苦笑)
やっと逆行らしくなってきでしょうか?
そしてたぶん管理人は嬉々としてヴァンいじめに走ります。
ヴァン視点で書いていると、何も知らずに悦に入っているヴァン師匠が可笑しくて。
きっとアッシュさんは内心大爆笑しながら演じているのだろうなぁ〜と。
でも顔には出しません。アッシュですから。
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