白いティーカップに注がれた琥珀の液体。漂うベルガモットと焼きたてのマフィンの香り。

本日のお茶係はルークで、お茶請け係はリズである。

教会の厳粛な空気とも神託の盾の殺伐とした雰囲気とも違う中庭。それはどこか幼き頃に過ごした箱庭に似ていた。もっともあの場でお茶をしたことなど一度もなかったけれど。

特務師団の屋外訓練場の片隅。かつて雑草しかなかったそこは、今では立派な花畑だ。ここに花を植えたのはルークだ。白い花がいいと彼が強請って、与えたのはヴァンだった。懐かせようと躍起になっていたころの話だ。アッシュも少しは手伝ったが、花を愛でるよりも、花を愛でているルークを愛でていた時間の方が長かったことはルークには内緒だ。一部にはバレているかもしれないけれど。

アッシュの左隣はルークの指定席である。そのまま時計回りにリズ、シンク、ロイス、ハルの順で一周し、アッシュに戻る。

一通りお茶とマフィンを味わった後、さてと切り出したのは誰だったのか。

本日の議題はライガクイーンの救済。

ルークが「殺したくない」と言うのであれば、それが魔物であろうとも救ってみせようとアッシュは思う。そしてそれに反対する者がいないことなど議論を始める前から明らかだ。だから、これから話し合うことは方法である。

タルタロスがエンゲーブに着く前にライガクイーンをチーグルの森から移動させなければならない。

ルークの記憶があるので大まかな日付の特定はできる。

本当は森の焼失を阻止できればよいのだが、残念ながら森の特定が無理なため断念せざるをえなかった。

現時点で森林火災の報告はないが、先の生で世界中を回った時もその痕跡を見た覚えはないので、報告される程大規模なものではなかったのだろう。それなのにピンポイントでライガクイーンの巣を焼くとは、預言(スコア)の導きか、ただ不運なだけなのか。チーグルの仔に同情しかけた心を慌てて引き戻す。火災を起こすような場所で火遊びをした方が悪い。

ルークが初めて屋敷の外に出た日を始まりと定義するのであれば、残された準備期間は一月もなかった。

導師の姿はまだダアトにある。

エンゲーブで食料の盗難が始まっているか否かは微妙な時期だった。

教団の私兵とはいえ軍隊である神託の盾(オラクル)兵をエンゲーブに派遣するには理由が必要だった。

こんな時程肩書きが邪魔だと思う時はない。しかし国境を越えるためにはこれ程便利な肩書きはない。なので、今はまだこの服を脱ぐわけにはいかなかった。

だから探した。そして見つけた。見つけたのはロイスだったが。

アッシュは一枚の紙を全員に見えるように置く。

「エンゲーブからの陳情書だ」

ダアトに陳情するとは、なるほど何でも預言任せのこの世界の人間らしい行動だ。

「なかったらどうするつもりだったんだ?」

「でっち上げる」「捏造すれば?」「捏造すりゃあいい」

見事にはもった声はアッシュ・シンク・ハルの三人である。

ルークは一読し不思議そうに首を傾げている。

ライガクイーンの救済と咄嗟に結びつかなかったのだろう。

かつての旅では国境無視が当たり前だったせいか、ルークは国境や国籍といった概念が希薄だった。そして二度目の現在、神託の盾騎士団というある意味無国籍集団に身を置き、任務以外での外出が許されていない状況にあってはその癖が抜けないのも仕方がないことなのだが、何故かそれ以外のメンバーも似たり依ったりという状況だった。

極秘任務のみのため公に国境を越えたことなどなかったリズ。預言士時代、国境は常にフリーパスだったハル。研究と製作のみで引き篭もりのロイス。シンクも任務以外でダアトを離れたことはなかったはずだ。

国境越えには旅券が必要だという常識から説明しなければならないのだろうか、とアッシュは頭を抱えたくなる。

「これでエンゲーブにもグランコクマにも赴く道理がたった。シンク、アリエッタを借りられるか?」

この場に参謀総長がいることは幸いだった。正式な命令にすればアリエッタを動かすのは容易い。

「別にいいけどね」

「アリエッタを連れて行くのか?」

「目的はライガクイーンの救済なんだろ。話せるヤツが必要だ」

陳情書には食料が盗難されていることしか書かれてはいない。現時点では盗難の犯人は判明していないのだから当然だ。

しかし、アッシュとルークには記憶という強い味方があった。

お茶会参加者はライガクイーンという固有名詞がその記憶から出てきていることに察しがついているので、それに対して説明を求められないことや辻褄合わせのための嘘を考えなくてもよい。

エンゲーブの盗難騒ぎの原因はライガクイーンということなのだろう。ライガといえば魔物。魔物といえば妖獣のアリエッタ。そういった思考の連鎖がそれぞれの脳内で展開されていく。

相変わらずルークだけが不思議そうな顔をしているのはアッシュが何をしようとしているのかがわからないからだろう。クイーンを救おうとしてくれていることはわかる、しかしそれ以外の何かを企んでいるように思えてならないから。

そしてルークのその勘は正しい。

「クイーンを救うためとはいえ村を一つ見殺しにすることはできない。それに俺たちが見逃したとしても、卵が孵って人間に被害が出れば討伐隊が派遣されるはず。クイーンを殺さないためには人間のいない場所に移動してもらう必要がある」

「あるのか?そんな都合のいい場所なんて」

「アリエッタにこの質問をした場合、どこを思い浮かべると思う?」

逡巡する思考を示すようにしばらく中を彷徨っていた瞳が見開かれる。「あっ」と小さな叫び声が洩れた。

思い当たったようである。

「上手くいけば、フェレス島の所在を掴むことができるだろう」

アッシュにはライガクイーンに対する思い入れはない。今回のことはルークの望みを叶えるためともう一つ、それが狙いだった。

現時点でフェレス島を攻略できれば、レプリカの大量生産を阻止することも可能であろう。

さてルークの反応は?と伺い見る。

己の腹黒さに呆れられたらどうしようかと思ったが、杞憂だったようである。

そこにあるのは尊敬の眼差し。

アッシュはそっと安堵の息を吐いた。

「アリエッタは決定として、他は誰が行く?」

やることが決まれば後は人選だけだった。

参謀総長らしく先を促したのはシンクだ。

自分が行くつもりでいたルークが首を傾げる。

「おまえはダメだ」

「何でだよ」

「今あそこで俺たちが目撃されるわけにはいかないからな」

エンゲーブに立ち寄る導師一行の耳に赤毛の目撃情報が入るのは避けたかった。

赤毛はキムラスカ王族の証。マルクト領内で目撃されていい存在ではない。

変装するという方法もあったが、他の人間で事足りることであれば、わざわざリスクを負う必要はないだろう。

「『ルーク』が来るからか?」

この場合の『ルーク』は現在バチカルにいるであろうもう一人のレプリカのことだ。

アッシュとルークがその存在を知った時には、既に彼がバチカルに戻されてから数年が経っていた。何年もの間ヴァンの企みに気付けなかったのは二人のミスだ。しかし彼の存在があったから『ルーク・フォン・ファブレ』探索の手がなくなり動きやすくなったというのも事実であり、そのことはヴァンだけでなく二人にとっても幸いだったし、何よりも母シュザンヌのことを思えば彼の存在に救われたことも多かった。

自分たちが二人でいることを望んだ結果に誕生させられた存在。現在ファブレ公爵家という箱庭で飼い殺しにされている彼をこのままにしておくつもりはない。しかし今は時期が悪かった。彼には後で謝り倒すとして、今はまだこのままに。

だから二人には、彼がこれ以上ヴァンに利用されることは阻止しなければならないという思いがあった。アッシュには現在の彼に対する負い目のみでなく、かつてルークに強いてしまったことの償いをしたいという思いもあったが、それはルークには伝えることのできないアッシュだけの決意。償おうにも今のルークは謝らせてもくれないから、その思いをもう一人のルークへ。それは代償行為なのだろう。ただの自己満足に過ぎないのかもしれない。それでもいいと、アッシュは思う。

「それは今の時点ではわからないな」

「でも『ルーク』なら師匠を守ろうとすると思うけど」

ルークにはかつての自分と同じ生活を送っているだろう『ルーク』の行動は手に取るようにわかった。

「あいつがヴァンの言うとおり劣化していて第七音素を使えないのであれば、超振動は起こらない」

『ルーク』がヴァンを庇ったとしても、ヤツの妹と一緒に飛ばされることはないだろう。

そう、ルークの旅の始まりはあの女が元凶だった。

忌々しさにアッシュは舌打ちする。

「何だってあの女はファブレ家襲撃なんて馬鹿な真似をしたんだ?」

「ヴァン師匠(せんせい)を止めるためだろ。俺のせいで失敗したけど」

ルークがタタル渓谷に飛ばされた時の経緯を話すと、「それはどうかしら?」とリズが口を挟んだ。

「謡将は正面から立ち向かって倒せるほど弱くはないわ。それとも、その彼女はそれ程の強さがあるのですか?」

「ヴァンを倒せる程の実力者だというなら、木刀しか握ったことのないような初心者を前衛に立たせる必要はないだろう」

アッシュがティアを厭う理由はそこにあった。

緊急事態だから。そうしなければ渓谷で共倒れになってしまうから。それは確かに無理やり戦わせる理由にはなるだろう。しかし自分のせいでルークが戦ったのだという事実を失念してもいい理由にはならない。彼女はその罪を忘れてはいけなかったのだ。いや罪だとわかってさえいなかったのかもしれない。母には謝っていたようだが、それはルークをバチカルから連れ出し彼女に心労を掛けたことに対してだった。母はバチカルまでのルークの旅がどんなものだったか知らなかったから彼女を許したが、アッシュは違った。それはこの時代のティアにとってはまだ犯していない罪。彼女が同じことをするかはわからなかったが、もしまた同じことをしたならきっちりと償わせようと、ルークには内緒で決意を固めていた。

「タタル渓谷の魔物はそんなに凶暴ではないはずです。それを一人で倒せない程度の実力ということですか?」

リズを使っていた者たちは「誰某を殺してこい」と命じるだけだったので、彼女は実働計画を自分で立てていた。その過去ゆえに彼女の脳内ではヴァン暗殺計画のシミュレーションが勝手に構築されていく。

「私だったらそんな無茶はしません」

導き出された答えはティアの方法ではヴァンは殺せないということだったようだ。

改めて肯定されるまでもなくアッシュにも想像がつくことだったが、ルークは相変わらず思案顔だ。

「だから譜術で眠らせようとしたんじゃないのか」

「ならば熟睡するまで待ちます。『覚悟っ!』と叫びながらなんてせっかく寝た敵を起こすようなものです」

「でも効果はあったみたいだぜ。あのヴァン師匠が防戦一方だったわけだし」

「それは譜術の効果ではなく、あの女がヤツの妹だったからだ」

人間すべてを消滅させる計画を立てながら、妹は消滅の対象に含まれなかった男のことだ。実力に天地ほどの開きがあるというなら、傷つけずに捉えようとか、誰にも知られずに屋敷から逃がそうとか考えていたに違いない。

「なるほど、謡将は妹に弱いということですね。でしたら地の利のないバチカルよりもここで、妹という立場を大いに利用すべきです。妹の淹れたお茶なら疑いもせずに飲むと思いませんか?」

その方法では自分にはできませんが、と本気で残念がっている。

アッシュはヴァンが暗殺されても一向に問題なかったが、それではルークの望みが費えてしまうので、やはり止めるべきなのか? と葛藤していた。もっとも彼女は命令されなければ実行したりはしないのだが。そしてアッシュも命令するつもりがあるのなら、もっと前にしていたはずである。

「毒殺か?」

「その方が確実です。譜防50のルーク様を眠らせることさえできない程度の人間に実力行使は無謀でしかありません」

当時のルークの実力を本人から聞いたリズは、そこからティアの戦闘能力を推察する。ちなみに当時のルークとヴァンの力の差は優に十倍以上はあったはずだ。

「それを考えるとうちの警備はどうなっているんだ? メイドたちはわかるが白光騎士団が全滅とは」

守るべき子息が耐えられた譜術に負けて熟睡なんて、職務怠慢にも程がある。

「え〜と、白光騎士たちを眠らせるのに力を使いすぎて、TPが足りなかったとか」

飽くまでティアを庇い続けるルークであるが、その行為がアッシュがティアにきつく当たる要因になっていることには気付いていない。

「失敗するつもりだったとしか思えませんわ」

暗殺者の風上にも置けないと、変なところでプロ意識の強い女性は言い放つ。

ティアは暗殺者じゃないからというルークの言葉は取り上げられる気配はない。

「だったら、そうなんじゃないか?」

それまで黙って三人のやり取りを眺めていたハルが口を挟む。

「『私は公爵家に忍び込むほど思いつめているのよ。お兄ちゃん、思い止まって』っつうパフォーマンスなんじゃねぇの?」

「キモイ」

「ティアに失礼だろ」

台詞だけじゃなく身振り手振りつきのその演技に、シンクとルークから抗議の声が上がる。

「キモイってなんだよ」

「キモイというのは『気持ちが悪い』の略だ」

「だ〜れが、キモイの説明を求めた」

冷静だが何処か的外れなツッコミはロイスの十八番なので聞き流すとして、演技が似ているかどうかも置いといて、なるほどハルの説には一理ある。

「そうだな。捕まってもいいぐらいの思いはあったのかもな」

「確かに、それなら頷けるね。時と場所が悪ければ悪いほど悲壮感が増す」

参謀総長の名は伊達ではなかったのか、オリジナルの性格を色濃く継いだ故なのか、シンクの感想は辛辣だ。

「元々殺したかったわけじゃねぇんだろ。謡将が何をしようとしているかわからねぇけど、何かよからぬ事を企んでいるっぽいから妹である自分が止めなくちゃ、つう使命感だけで大した下調べもせずに公爵家に乗り込んだってとこなんじゃねぇの?」

結果として彼女が正しかったわけだが、それは未来を知るアッシュたちだから言えることだ。そして仲間たちがそれを疑わないのは二人が未来を知ることを理解しているから。それは何年もかけて築き上げた信頼と実績故だった。

何年も傍にいた信頼している人物の吐いた嘘と、数日前に突然屋敷に忍び込んできた女の話す真実。ルークが嘘の方を信じるのは当然ではないか。

ヴァンはすべて正しいと思っていた自分はティアの言葉に耳を貸そうとはしなかった、とルークは自身を責める。

それが仕方のないことだったとアッシュが気付けたのは、ルークの記憶を取り込んだときだった。ルークの世界にはヴァンしかいなかった。そういう風に創ったのはヴァンだ。

「アッシュ?」

アッシュの感情が未来の、己の記憶に囚われていることに気付いたルークが、心配そうに声を掛ける。それはこの世界ではまだ起きていないことなのだから、起こさないために行動しているのだから、そのことで自身やかつてのルークの仲間たちを嫌悪して欲しくなくて、ルークはテーブルの下でそっとアッシュの手を握る。

優しくて誇り高いアッシュが大好きだから、そんなふうに闇に囚われないで。ヴァンやナタリヤやガイのことが好きだって知っているから、そんなふうに好きだったものを嫌いにならないで。

本当は抱きしめたいのだ。

ルークの気持ちがわかっていたから、アッシュはルークの手を握り返す。

―――大丈夫だ。

回線を通じそう告げれば、安心したように笑う。

ルークがいる限り自分は闇に落ちることはない。

第二のヴァンにはならない。

目を合わせるだけで伝わる思いもある。

「でもさ、『ルーク』との間に超振動が起きなかったとしたら、ティアはどうなるんだ?」

『ルーク』にティアを止めることができなかったとしても、彼女にヴァンを殺すことはできないだろう。

「捕まるんじゃない?」

「それじゃあ、ティアが犯罪者になっちまうじゃないか」

ルークが聞きたくなかったであろう言葉をあっさり告げたシンクを一睨みする。

「ルーク、あの女がしたことは犯罪だ。ヴァン暗殺未遂は兄妹喧嘩で片が付くかもしれないが、ファブレ公爵家に不法侵入したことをキムラスカは不問にするわけにはいかないだろう」

前回彼女の罪は暗殺未遂と不法侵入ではなく、ルーク誘拐だった。首謀者ヴァン、実行犯ティアと判断されたため、捕らえられたのは首謀者であるヴァンのみだった。実行犯を野放しにしてよいのだろうかとも思うが、彼女がバチカルまでルークを送ってきたことから共犯という扱いをしなかったのかもしれない。

あの時、国王とモースとヴァンの間でどんな取引があったのかは知らない。

アクゼリュスの件もあり、ヴァンや彼女の罪を追及する時間がなかったというのもあるだろう。少なくともヴァンの釈放はルークとの交換条件だった。ヴァンなしでもルークがアクゼリュス行きを承知していたとしたら、ヴァンの釈放はもっと遅れていただろうか?いや、それはないか。モースはヴァンをアクゼリュスに行かせたがっていた。アクゼリュス崩壊を知っていたということは、アクゼリュスと共にヴァンを始末するつもりだったのだろうか、それとも監視者であるヴァンにアクゼリュスが崩壊するよう導かせようとしていたのか? 妹まで推薦した理由はわからないが、導師と共にパーティを離れることになる導師守護役に代わるスパイとして利用するつもりだったのかもしれない。

ヴァンとモース。両方、もしくはどちらかがバチカルにいる状態なら、彼女が犯罪者として通常の処罰を受けることはないだろう。

「心配しなくてもヴァンにとって妹は特別だ。犯罪者として裁かれることはないだろう」

裁かれることになってもいいとアッシュは思っていたが、ルークの手前本音を曝すわけにはいかなかった。

「捕まったら捕まったで、公の場で兄に真意を問い質すチャンスってことだろ。なかなか計算高えよな」

「だからティアはそんなヤツじゃないって」

「ふん、無意識だとしたら余計に性質が悪いね」

だからティアは、と再びルークが抗議の声を上げる。

思ったことをポンポンと口にするハルとシンクは、アッシュの睨み程度では口をつぐむことはない。思っていてもルークが不機嫌になるからという理由で沈黙を守るアッシュとしては、色々歯痒いところである。曰く「俺が言いたい」と「余計なことをルークの耳に入れるな」と。

なだめるようにテーブルの下、ルークと繋がったままの手で彼の腿を叩く。そういえば先程から繋いだままだった。まぁお互い利き手ではないし、離す必要性も感じないが。紅茶は片手でも飲めるだろう。マフィンを食べたくなったら離せばいい。アッシュは既に自分の分は食べ終わっていたし追加を望むつもりもなかったので離す理由はなかったが。ルークもアッシュと手を繋いでいることが好きだったから、マフィンを諦めてでも繋いでいることだろう。今日は夕飯を残すことにはならなそうだ。

「エンゲーブはハルとロイス。俺たちはグランコクマに行く」

このままヴァン襲撃時についての議論をしていても、ルークの機嫌は降下の一途をたどるだけ。

だから話題を当初の議題へと戻す。

「何でグランコクマ?」

「あんたにはここにいてもらうよ」

さて、どちらから答えようか?

優先順位はいつだってルークが一番だったから、それは悩むまでもない問題なのだが。

「マルクト皇帝には知らせておく必要があるだろう」

「エンゲーブのことか?」

「それもあるな。エンゲーブからの陳情があるとはいえ師団を派遣するなら許可をとる必要がある。それにそろそろ導師が出奔する時期だしな」

タルタロスの船員を救う術は前々から講じてきた。その一環としてマルクト皇帝との繋ぎは既にできている。

ルークはあのマルクト軍人も巻き込むことを望んでいたが、推測で動くことを嫌う人間が未来の記憶などを信じるとは思えなかったし、ヤツがレプリカをどう思っているかを考えると、ルークとの接触は避けたかった。けっしてルークがあの男を頼りにしているからなんて理由ではない、はずである。

その点皇帝には信じるに値する人間であるか否かを見抜く天性の才がある。証拠を示さずとも己が信じるものを信じ切るだけの強さがある。協力を仰ぐのならこちらだろうとアッシュが決めたのは、ピオニー・ウパラ・マルクト九世が帝位に就いた直後のことだった。

記憶とディストから聞き出した情報で人となりは把握していたので、彼の攻略はそれ程大変なことではなかった。今では正規の手続きを踏まずに接触できる程度の伝手はできている。

「そういうことなら、グランコクマには私が行くほうがよいのではないか?」

ロイスは皇帝気に入りの技術者として王宮への出入りがほぼフリーパスである。というよりも、皇帝の抜け道作りの協力者である彼には人知れず私室に侵入する手段があるのだ。ロイス以外の人間も抜け道の試用許可は取り付けてあったが、無駄に複雑に作られたそれは一度や二度通ったぐらいで覚えられるような代物ではない。まぁそこはどんな方向音痴でも大丈夫な地図でも作らせて対処すればいいだけなのだが。

「いや、正面からいく」

アッシュは皇帝への繋ぎを正式な謁見として行うつもりでいた。そのための陳情書である。

「時間が掛かるんじゃないか?」

ルークの心配は尤もだったが、マルクトはキムラスカほど手続きに時間が掛かることはない。それはトップの性質の違い故のことだろう。

城下で一日二日待たされることになったとしても、まだそのぐらいの猶予はある時期だ。その間ルークと観光でも、なんて目論みがあるわけではない。まぁあったとしてもシンクの一言で実現不可能になっていることを果たして覚えているだろうか?

正式な謁見を自分一人で行わなければならないということに、ルークの瞳が不安げに揺れる。リズが「お供いたします」と同行を申し出るが世間知らずという点ではどちらもいい勝負だった。

本人たち以上に周りの心配は大きい。

やはり自分も行くと言い出したアッシュを再度シンクが止める。

ここまで強固に反対するということ先の台詞は嫌がらせではなかったらしい。

導師の失踪が明らかになれば、探索の命令が下される。ヴァンが不在の今多少の時間は稼げるだろうが、グランコクマから戻ってくるだけの余裕はないだろう。アリエッタには移動手段があるが自分たちにはない。魔物を借りるという方法もあったが、それではアリエッタにグランコクマに行っていたことを知られてしまう。アリエッタに知られるだけなら問題はないが、そこからどこに伝わるかわからない以上今は知られない方がいいだろう。

実際先の生でもモースから導師探索の命令を受けた。

自分が不在の時に導師が失踪した場合はモースが、ヴァンがダアトにいるときであればヴァン自身が、導師探索を六神将に命じる。導師発見後のことは既にリグレットと打ち合わせ済みなのだろう。

モースの導師に対する執着。ヴァンの計画にはそこまで含まれていると見るべきだ。確かに行動が読みやすい人物ではある。利用するのは容易いだろう。

「その時に特務師団長が不在と言うのはまずいんじゃない?」

『ルーク』が超振動を起こさなかったとしても、ヴァンはここには戻らずそのまま導師探索に向かうはず。ルークのみであれば不在であっても誤魔化すことは可能だったが、特務師団長まで不在というのでは隠しようがない。

シンクの指摘が的を射ていることを認めても、アッシュにはルークとのグランコクマ観光に未練があった。タルタロスの乗員を殺さないための下準備に行くのだということを忘れたわけではなかったが、果たしてどちらに重点が置かれているのか。それはアッシュのみが知るところだった。

グランコクマにはルークとリズが。

ルークの傍を離れることを渋々承知すると、グランコクマでの行動についての指示を出す。

導師の移動にタルタロスを使用することはわかっていたので、かの艦には既に細工が施してあった。その辺はロイスの腕の見せ所だったのだが、彼には少々やりすぎのきらいがある。

ルークでも迷わないで済むように見取り図が必要だ。あっても迷う心配はあったが、リズではハルのストッパーにはならない以上他の選択肢はない。

「俺なら一人でも大丈夫っすよ」

「却下だ」

ハルを野放しにした場合、作戦や計画といったものはすべて無駄となってしまう。それはそれで有利に働くこともあったが、今回の件に関しては行き当たりばったりというわけにはいかなかった。

「暴走すること前提かよ」

酷いよな〜と泣きまねまでする相手に、周囲は冷ややかだ。

「するだろ」「するでしょうね」「するだろうね」「するな」

四人に肯定されたハルは最後の望みとばかりに、ルークに目を向ける。

「え〜と、しないのか?」

コテンと首を傾げるルークに、ハルは項垂れるだけだった。残念ながら暴走しない彼を想像できる人間はここにはいない。いや、この場合残念がっているのはハルだけである。

ライガクイーンの説得役にアリエッタを連れて行くのなら、クイーンの件はハル一人でも事足りるであろう。しかしハルにはそのままエンゲーブに留まり導師と接触してもらうつもりだった。接触できなかったとしても影ながら導師を守らせるつもりだ。

あの導師守護役(フォンマスターガーディアン)は当てにはならない。

モースのスパイだからというのではない。モースは導師の動向の報告を命じていたが、正規の任務をないがしろにしてもよいとは言っていなかったはずだ。両立してこそプロというものではなかろうか。

実際はどちらも中途半端。モースにはその程度の手駒しか用意できなかったということなのだろう。

しかしその程度に遅れをとるマルクト軍人というのは・・・・・・そんな上司に従い命を落とした兵たちが憐れに思えてくる。いや、完璧でないから騙されたのかもしれない。守護役の職務も満足にできないような者がスパイ行為も行っているとは想像しなかったのだろう。

ライガクイーンをアリエッタに任せた後は、そのままエンゲーブ近郊に留まりタルタロスの到着を待って導師と接触。可能であれば導師を奪還すること。

ハルにそう命じると、ルークが「和平はどうするんだ?」と不思議そうに聞いた?

導師の今回の行動が和平条約締結という結果をもたらすことはない。

キムラスカ国王は親書を受け取りはしたが、和平条約を締結するつもりはなかった。いやマルクトからの申し出さえも預言を成就するために利用した。それはルークの最も辛い記憶の引き金となったものだ。

キムラスカが親書を受け取れなかったからといって『ルーク』のアクゼリュス行きがなくなるとは考えられないが、できれば彼にはすべてが終わるまで屋敷から出ないで欲しいと思うのはアッシュのエゴだ。籠の鳥もいつかは外へ飛び立つ日がくるだろうとは思うが、何もわざわざ嵐の日を選んで飛び立つ必要はないのだ。彼のためにも穏やかな空を。もちろんアッシュの一番はいつだった傍らのルークであるが。

「俺は導師出奔の件もヴァンの計画の一部だと踏んでいる」

「なんでだよ?」

「現時点で導師をダアトから連れ出さなければならない理由があるのはヤツだけだ」

ヴァンにはセフィロトに施されたダアト式譜封咒を解かなければならない理由がある。そしてそれができるのは現時点では導師だけだ。モースによりダアトに軟禁されている彼を連れ出すためにマルクトを利用した、という推測が成り立つのだ。

「でもイオンやマルクトが和平を望んでいるのも本当だろ」

「そうだな。そこを利用された」

秘預言(クローズドスコア)を知ることのできる人間でなければ、キムラスカが戦争を望んでいるという確証を得ることはできない。国境付近での小競り合いの頻発が大規模な戦闘の前触れと推察したとしても、このタイミングでの導師の出奔はあまりにもヴァンに都合がよすぎるだろう。

「え〜と。モースが教えた、とか?」

モースはルークをアクゼリュスへ行かせたかったのだから、ということなのだろうがそれについてはキムラスカ側から申し入れても問題はないことだ。わざわざ導師を担ぎ出すまでもない。

首を振って否定を示すと、ルークがガックリと首を落とす。

「ヴァンが導師とマルクトのどちらに入れ知恵したかはわからねぇけどな。そう考えるのが自然だろう」

「イオンにはモースのスパイが付いているからね。あいつからっていうのは無理なんじゃない?」

今の導師、レプリカイオンに付いている導師守護役(フォンマスターガーディアン)は、二人の記憶と同様アニス・タトリンだった。

モースに言われた通りイオンの動向を報告しているだけ、と自分の報告がもたらす結果を想像できないのか、しないのか。

彼女は自身の罪悪感に気付かないふりをして笑っているのだ、と。

ルークの共に旅した仲間に対する評価は甘い。

その人となりと境遇を知らなければ、裏切り者として糾弾されてもしかたないことをしたのだと、アッシュの説明を理解はしても納得はしない。

ダアトで彼女とその両親を見かける度に「アニスを救いたい」とルークは言うがアッシュは許可しなかった。

彼女がスパイとして使えなくなればモースは別の人間を導師につけるだろう。スパイが誰かわからないよりはわかっていた方が対処は楽だ。小娘以外のスパイが導師付きになるということは不確定要素が増えるということ。それは都合が悪かった。重ねて言うが、けっしてルークの気持ちがかつての仲間に向くことが気に入らないからではない。

「そそのかされたのはマルクト、か」

なるほど導師側からマルクトに接触した場合、ダアトを出る前にモースに阻止される可能性は高い。それはヴァンの望むところではないだろう。

ヴァンが自ら動くとは考えられないが、ヴァンの息の掛かった誰かが、導師派の人間として接触したのだろう。その誰かを特定することはできても、ヴァンとの繋がりを証明できる可能性は薄い。

「ピオニー陛下も師匠に騙されているってことか?」

「可能性はあるが、皇帝は知れねぇだろうな」

そうでなければ親書を受け取るためにエンゲーブに立ち寄る必要はない。親書は何もキムラスカに皇帝の意を示すためだけの物ではない。導師に協力を要請する際にも親書があった方が信憑性は増す。マルクトが何をもってそれを皇帝の真意であると導師に示したのかはわからないが、親書に代わる何かがあったのか、無くても信じたのか。今の導師の人となりまでも伝えていたとしたら、手ぶらで訪問した可能性もある。

ジェイド・カーティスという存在をもって証明とする、と。

あの男の名前はマルクト皇帝の懐刀として国内外に知れ渡っている。ヤツの独断であったとしても、マルクト皇帝の意であると信じさせる力はあるだろう。

まぁ例え事後承諾であったとしても、あの皇帝はそのことを公にするような人間ではない。臣下が勝手にやったことだと責任逃れをするような君主でない以上、追求するだけ無駄である。

「ジェイドが勝手にやったっていうのかよ」

「他のヤツじゃぁ皇帝の許可なしに動くことはできねぇだろうな」

「でも・・・」とかつての仲間の弁護を続けるルークは、それがアッシュが彼らにきつく当たる要因になっていることに気付きはしない。一方アッシュは嫉妬ゆえに評価が厳しくなっていることに気付いていても尚、自らの下した結論を改めるつもりはなかった。

例えジェイド・カーティスに直接接触しなかったとしても、ヤツがヴァンに利用された可能性までは否定しきれない。その場合ヤツはヴァンが接触した誰かに利用されたということになる。その人物に「成功したら自分の手柄、失敗したら死霊使いが勝手にやったこと」という狡猾さがあるのならば、結果の出ていない今名乗り出てくることはないだろう。

この件に関して誰かに責任を押し付けたいわけではないので、誰かが死霊使いであるか否かなどどちらでもよかったが。

悪いのは騙した方だ。加害者ははっきりしているのだから、被害者を捕まえて「騙されたおまえが悪い」とやるのは間違っていると、今はわかっていたから。

前回の生で自分がルークにした仕打ちに思いを馳せる。もう二度と間違えない、と。その決意は前回を思い出す度に繰り返されていた。

ヴァンが導師出奔の黒幕であることを推察する要因としてもう一つ、導師がシュレーの丘のダアト式封咒を解いたことをあげる。

「現在ヴァンはバチカルにいる」

イオンの出奔がヴァンの予期せぬ出来事だとすると、リグレットに与えられた任務の説明がつかない。まさかセフィロトの解咒がリグレットの独断だということはあるまい。導師出奔を知ってからではリグレットに命令したと考えることは地理的にも時間的にも難しいだろう。アッシュとルークの間にあるような特別な通信手段があるのであれば別だが、もちろんそんなものがあるはずない。

「ヴァンが本当に導師の失踪をバチカルで初めて知ったのだとしたら、誰がリグレットに命じたというのだ?」

すべては推測だけどな、とそう締めくくる。

「推測で動くのは危険じゃないのか?」

確証が得られるまで待ち続けて手遅れになった男のことを忘れたのだろうか?

「間に合わねぇよりはマシだ」

誰のことを揶揄っているかわかったのだろう。

ルークが「そうだな」と小さく呟く。

それにこちらにも封印を解いてもらわなければならない理由はある。この件を利用するつもりだったのでヴァンだけを悪者にするわけにはいかない。

「どうにかならないのか?」

「ん〜、知識はねシンクに教わったから完璧なんだけど。実践は無理らしいしね」

一回ぐらいは実際に解くところを見ておきたい、と。

導師と同等の力を持ちながら、預言に名前が詠まれなかった故に導師にはなれなかった男。代わりに彼の預言にあったのは己の死だった。

人柄はともかく預言士としての実力は導師レベル。自分でそう言い切る程度に己の才能に自信を持っていた男は、自身で詠んだ死の預言に絶望していた。それが初めて会った時のハロルド・キャスロウだった。結果だけ言えば預言の呪縛に打ち勝ち、彼は今も生きている。彼は預言に詠まれていない未来もあるのだという生き証人であったが、その存在を公表するわけにはいかない。そんなことをすれば預言至上主義者たちがどうでるかなど試してみるまでもなく明らかだったから。

預言通りの世界にするために足掻く人間たちは、自身の存在の矛盾に気付いているだろうか?

ローレライ教団の教義こそが預言に示されていない道もあることを物語っている。預言がどう足掻いても違えることのできない未来であるならば、わざわざ「預言に従うことが美徳である」などという教義を掲げる必要はない。本当に道が一つしかないのであれば、その道を示さずとも人はその道しか歩けないのだから。

つまりそれこそがこの世界のパラドクス。しかしここに生きる人々は自分が立つ場所がそんなあやふやなものだとは思ってもみない。それは一度死んだ自分だからわかることなのだろう。

「悪かったね」

「でもおまえ、カースロットはできるんだよな」

ガイにカースロットを掛けたのはシンクだった。

ダアト式譜術は導師にのみ伝承されてきた譜術である。つまりレプリカイオンが作られなかった場合、それは永遠に失われていたのだろうか? ユリアの預言通りに世界が歩んでいたとしたら、被験者(オリジナル)イオンを最後に世界は導師を必要としなかったとでもいうのだろうか?

「まったく使えないわけじゃないけどね。ただ高等レベルは無理。それができるんだったら身代わりは僕だっただろうしね」

「一度で覚えろよ」

そう何度も導師にダアト式譜術を使わせるわけにはいかない。

「わかってるって、この天才譜術士様にまっかせなさいvv」

実力は認めていても、心配になるのはハルの性格が原因だろうか?

一斉に疑いの眼差しを向けられても、慣れているのかハルの表情に変化はない。

「一番近いセフィロトはシュレーの丘だったな」

エンゲーブで導師を奪還できた場合は、そこで解咒の仕方を学んだ後ダアトに帰還ということになる。ヴァンへの言い訳は「導師がダアトの外にいることを不審に思い保護した」とでも言っておけばいいだろう。導師の出奔を利用するというヤツの計画に支障を来たすことができるのならそれに超したことはない。

「ん〜導師守護役はともかく死霊使い(ネクロマンサー)は厄介だな」

「チーグル共にはクイーンが移動したことを黙っておけ」

「ん?どういうことだ」

食料の盗難がチーグルの仕業だと知れば、導師は確認するために森に行くだろう。守護役もマルクト軍人も連れずに一人だったというのは解せないところであるが、導師奪還ということを考えれば好都合である。

「イオンはなんで一人だったんだろうな?」

ルークと偶然出会えたからよかったようなものの、あのまま一人で森を探索していたとしたら、導師が無事であったかどうかは疑わしい。

守護役を傍から離すなど導師としての自覚がなさすぎる。そして守護役の方も代役も立てずに傍を離れるなど、守護役失格の烙印を押されても仕方がないだろう。

「モースに居所を報告している隙を付いたのだろう」

止める者がいなかったからか、守護役が戻ってくるのを待てなかったからか。前者である可能性が高い。

イオンのレプリカとしては面白いモノが作られたものだ。

盗難が聖獣の仕業だったとしても、被験者ならば自ら調査に向かうなんて真似はしなかっただろう。そもそも被験者であればマルクトの要請に応じたかどうかさえ疑わしい。

ヴァンは余程被験者イオンに手を焼いていたのだろう。いや望んだのはモースだったのかもしれないが。

なるほど、知れば知るほどレプリカとは被験者とは違う個であるということがわかる。

ルークやシンクや導師を間近で見続けても尚同じモノができるという夢を見続けるディストの執着には呆れて言葉もでない。科学者とは随分夢見がちな生き物であるようだ。

「ふ〜ん、ライガの巣で待っていればイオン様自らお出ましになるってわけだ」

「あぁ、同行者がいるかどうかはわからないけどな。死霊使いの妨害が入った場合、対応は任せる」

「まっかせなさい」

相変わらず任せるのが不安になる言動であるが、実力の程は把握している。念のため保険も付けた。

後は結果を待つだけである。

「エンゲーブかぁ〜」

未だエンゲーブ行きに未練があるのか、ルークがうらやましそうに呟く。暇になったらエンゲーブ観光に行くことをアッシュが秘かに決意した瞬間だった。

「どうしたルーク?」

「アップルパイが食いたい」

「マフィンは口に合いませんでしたか?」

本日のお菓子係りが心配そうに確認してくる。いつもより食の細かったルーク。それはテーブルの下で繋いだ手を離すことができなかったからだったが、彼女はその事を知らない。

そんなことはないと、ルークは慌てて頭を振る。真相は恥ずかしくて告げられないらしい。言っても問題はないとアッシュは思っていたが。

「エンゲーブのこと話していたら、林檎が食べたくなっただけ」

ルークにとっては人生初の買い物である。その味は忘れることのできないものなのだろう。

「エンゲーブではそろそろ初物の出荷時期だったな」

任務にどれぐらいかかるかわからない以上、生の林檎は無理かもしれない。

「土産は林檎のジャムにしておけ」

それなら日持ちがする。

アッシュの提案に嬉しそうに目を輝かせ「絶対、買ってきてくれよな」とロイスに念押しするのは彼らの性格をよく知るからだろう。

本気で土産を強請っているルークを一瞥する。これから起こることに対する気負いがなくなったのはよいことだ。

それに悪くない言い訳かもしれない。

傍にいることが多い人間がいなければ、理由を聞かれるかもしれないから。

誰かに聞かれたら「林檎ジャムを買いに行った」とそう答えようか?

彼らが帰還したあと林檎ジャムを使った菓子でも振舞ってやればいいだけのことだ。勿体無いとも思うし、せっかくの菓子が不味くなるとも思う。だがそれで騙せるのであれば安いものである。

準備の時間は終わりだ。もうすぐ本番の幕が開く。

冷めてしまった紅茶を飲み干すと、本日のお茶会を終了とする。

「あなたたち、林檎ジャムを買い忘れた場合、どうなるかわかっているわね」

優秀な女傑はクギを刺すことは忘れない。

ルークがそれを望んでいる以上、彼女の中での最優先事項はそれである。

そして言葉は二人に向けられたものであったとしても、実際に忘れた場合何かが起こるのは片方のみであるということを短くない付き合いから簡単に推察できるというのは、この場合幸運であるというべきなのだろうか?

少なくとも人任せにはせず自分で注意するということは忘れる確率を下げる役割は果たしていることだろう。

 

 

 

余談だが、シンクの土産は翌朝パンケーキに添えた。

買って来たのは自分だと何故か朝から特務師団に入り浸るシンクは、そこにハルの姿が見えないことに僅かに眉を寄せた。

食べられなかったイチゴジャムの存在を知りハルが悔しがるのと、不機嫌になったシンクがハルにダアト式譜術を仕掛けるのはもう少し未来(さき)の話である。

 

 

 


あとがき



ハルシンなんて考えていませんよ(笑)

今回の客演はシルバートレイでした。既にテイルズですらありません。

お茶しているだけなのに、長い長い(苦笑)

うっかり前後編となりました。

前編はオリキャラの紹介。ロイス・セイレンの過去が語りきれなかったのが心残りですが、機会があればどこかで。つうか需要はあるのか?

後編は仲間好きさんごめんなさい<m(__)m>な内容。

独断と偏見による考察を元に構築しておりますのでご了承ください。

特にティア。とりあえず、ファンダムでティアの過去が公式発表される前に語りたかったので。本文中で「推測だ」とアッシュさんも仰ってますし、ファンダムが発売されても訂正せずそのまま放置の予定です。

それからジェイド。管理人が陛下に夢見ているのと、陛下はアッシュとルークにより懐柔済みという設定のため、騙されたのは君一人(+名前も出てこないマルクト貴族)ってことになってしまいました。スマン。陛下が騙されていてジェイドは命令されたって解釈もできるのですが、タルタロスは改造済み(あいことば参照)って話を書いた後だったので・・・。

ところでダアト式譜術の伝承ってどうやって行っているのでしょう?

レプリカイオン生存フラグを立てるために、ハルに覚えてもらうことにしました。ってことで、この話では導師と同等の第七譜術士であれば訓練次第で扱えるってことでお願いします。

 

 

 




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